2022年、秋。
EBETSUtoに入って間もない大学3年生は、ふと思った。
大学生活、なにをしていたのだろう。
ブログのネタを探すために写真フォルダを遡るように見ていたら、ある時を境に無機質なスクショが並んでいた。
思い出を「写真」という形で残しておけるこの時代に、画面の文字ばかりがフォルダに並んでいるのを見て、やり場のない気持ちを思い出した。
出来ないかもしれないと囁かれていた高校の卒業式を無事に終え、来る大学の入学式に備えてスーツを揃えた。
ワイシャツとジャケットを着て鏡に映る、不格好な笑顔の私。
大学生って、どんな世界だろう。
そんな期待と不安の入り交じった気持ちは、理想と現実のギャップを生じさせた。
入学式は中止。
オリエンテーションを行う教室は、新入生が集まっているとは思えない、妙な静けさ。
始まらない講義。
画面内で喋るマスク姿の先生。
「若者」という括り。
大学生って、中途半端で居心地が悪いな。
写真として残っていない思い出も、思い出が作られるほどの出来事もなかった。
苦しく、長い日々を、黙って過ごすだけ。
大学を中退するという選択肢があったにも関わらず、だらだらと続け、ついに3年生になってしまった。
対面講義も徐々に再開し、同級生を認識し始める。
そして、大学生になったらやりたいことのひとつだった、ボランティアを含めた課外活動を受け入れてくださるところも増え、何となく大学生らしいと思えるようになった。
約2年間、大学生としての自覚がないままに過ごしてきた。
大人と子どもの間
そう表現されることもある大学生。
成人しているが、学生という立場が、コロナ禍において、魅力的とは言えなかった。
一方で、どっちつかずだからこそ、それなりの自由があった。
未だに
「大学生って、なんだろう。」
と、思う。
それでも、
「大学生って、中途半端だからいいのかもね。」
と笑って言えるのは、今まで出会った仲間や大人たち
そして、なにより、あの時を乗り越えた自分がいるからなのだろう。
ー 余談 ー
コロナ禍で、どう感じ、どう動いたかは人それぞれであり、これはあくまでも私の物語だ。
事細かに振り返れば、言葉にできない気持ちと経験が、3年間とは思えないほど山のようにある。
このブログは3年生という自覚の元、書いている。
書き上げた今、あと数日で4年生になるのだと気付いてしまい、書き直したくなった。
今の気持ちは、Instagramのコラボ企画の余談と共に、改めてブログに認めようと思う。
EBETSUtoとしての活動時間も、今後活動できる時間も少ない。
大学生活をやり直したいとは思わないが、できることなら、もっと早くにEBETSUtoに出会いたかった。
北翔大学大学院 臨床心理学専攻 ぱる